タイトルの通りなのですが、今年1月に仕事をやめました。(2月は有休消化)
退職までの手順や、手続きなども次回以降書いていきますが、今回は退職を決意するに至った状況を書こうと思います。
まず退職した理由はいくつかあって、主なところは以下のようなものでした。
- 体調を崩した
- やりたい仕事が他にある
- 会社の事業方針と自分の方向性が合わないと感じた
ほとんどの人が、次の職場の内定が出てから会社に退職の申し出をするようですが、私の場合は、先に退職してしまいました。
というのも、体調が悪くなっていた”緊急性”と、プロジェクトの終了時期であったという”時機”という2つが重なったためです。
体調に関しては、夏ごろからどんどん体重が減っていき、身体中が痛くなりました。病院に行っても特に体の異常は見つからなかったので、まあいわゆるストレスによる痛み?の発生なのだと思います。精神科には行かなかったので病名はありませんが、その気になれば療養のための休職も認められただろうと思います。
また、時機に関しては、やめたいと思った時には、まだプロジェクトの中盤でした。そのプロジェクトを終わらせるまでは頑張ろうと決めていました。かなりのハードワークが求められるプロジェクトでしたので、個人的な感覚としては、転職活動などする余力は無く、とにかくスケジュール通りに終わらせることに注力した状況でした。そして、次のプロジェクトに組み込まれてしまうと、また2年ほどかかってしまうため、先に退職してしまったわけです。
僕は電子回路設計の仕事をしていたわけですが、もともと機構設計の仕事がしたくて、入社当初から要望も上司に伝えていました。 ただ電気系の会社ということもあり、「わかった、でもまずは電気だ。」ということを言われ、これまで電気をやってきたわけです。
どうも会社としては、やらせておけばそのうち電気のほうが好きになるだろうと思っていたようです。しかしながら僕の方としては、「まずは」という言葉を信じて、いつになったら機構の仕事をさせてもらえるのか?と思い続けていました。
最終的には機構設計の仕事をすることなく、退職することになりました。電気設計の経験しかない状態で、機構関係の仕事を探すことは難しいと思いますが、くすぶり続けるよりは良かったのだと思っています。
会社の事業方針と僕の考えの違いは、最近ではどうすることもできないものになっていました。スローガンと実際の方向がずれていたり、マネージメントできない人がマネージャーになったり、病気になるほど働く人と何も仕事しない人がいるような仕事に割り振りがあったりと、とにかく時代の流れに対応していないことばかりだと感じていました。
直接の上司に会社への提案もしていたのですが、その提案は全く上に伝わってなかったことが退職直前にわかりました。提案したことが実際に制度化されるのは難しいにしても、上に伝えないとは驚きました。提案した制度は例えば、もっと結果主義にして査定はボーナスだけでなく基本給にも反映することや、フレックスタイムの運用(制度はあるが使っている人はいない)、曜日シフトの導入、その他にも全員契約社員にして結果主義にすることなどです。
スローガンでは時代の先端を行くような事を言っているが、実際は封建的な暗黙のルールを崩せず。良いアウトプットをした人でもみんなと横並びの給料、結婚していて家を買った人は給料が高い。これでは、「仕事をしない人にはいい会社!」と言っているようなものですよ。
会社の人たちは(本当にそう思っているかは別として)引き留めてきました。退職の申し出をした途端、他の部署でこんな仕事もある、機構もできる。などなど。 そう言われても、退職を決意した後に、ただ伝えただけのことで、悩んでいる段階のわけがないのです。 僕にとっては、上記のような理由で、いずれ退職することになるだろうという会社だったわけです。 その時期が今だっただけで、僕にとっては遅かったくらいです。なぜなら、別分野の仕事をしようとしているから。
とりとめのない文章になってしまいましたが、このような考えのもと、退職を決意しました。ずいぶん単純な理由でやめたんだ。と思う方もいるでしょうが、単純で後のことをあまり考えないほうが楽しめますよ。
さて次回からは、 退職までの手順や、手続きなどを書いていこうと思います。お急ぎの方は転職サイトで詳しく書いてありますので、そちらをご参照ください。僕のブログでは実際にあった一例をご紹介できれば良いと思います。それでは。
コメント